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斑鳩を巡る
斑鳩の里 法隆寺・龍田エリアの古墳めぐり
斑鳩町内の古墳は、現在までに約70基あまりの古墳が確認されています。その中でも、古墳時代後期のものが多い、法隆寺・龍田エリアを、のどかな斑鳩の里の風景を見ながら巡ります。
徒歩1分約80m
舟塚古墳 〈法隆寺周辺エリア〉
法隆寺iセンター横の民間駐車場「法隆寺観光自動車駐車場」の敷地内にあります。
周辺では、かつてクスノキの舟が出土したという言い伝えがあったことから「舟塚古墳」と呼ばれていました。
平成31年度から4次にわたり発掘調査が行われた結果、現状で直径約8.5mの円墳で、墳丘盛土と横穴式石室を確認し、多くの須恵器のほか土師器、鉄製馬具類、琥珀玉等の玉類に加え、鉄製の大刀2振などの副葬品も出土しました。
出土した須恵器の型式から、古墳の築造年代は6世紀後半と考えられています。
特に、令和5年9月9日に行われた発掘調査現地説明会には、全国から多くの歴史愛好家や古墳ファンが訪れ、話題になったのが記憶に新しいところです。
徒歩20分約1.3km
ほとけつかこふん仏塚古墳 〈松尾道沿い〉
法隆寺の裏山をこえた谷あいの水田の中に残る古墳です。周囲は削られていますが、昭和51年の発掘調査の結果、一辺約23mの方墳で、6世紀末築造と推定されています。
内部はすでに盗掘を受けていますが、横穴式で、石室には亀甲型陶館が置かれていたとみられ、副葬品では、縄文・弥生の土器、古墳期の馬具・耳環(イヤリング)・刀子などが出土しました。また、飛鳥~平安期の土師器・須恵器・土馬、中世の小金銅仏や塑像片・花瓶や六器なども見つかったことから、中世になって石室が仏堂として再利用され、仏教の儀式が行われていたとみなされ、「仏塚」との名がついたとされています。近くにはその成立が鎌倉時代と考えられている極楽寺があり、それとの関係が指摘されています。
なお、法隆寺の北方にひろがる小丘陵には、6世紀から7世紀にかけての古墳が点在しています。7世紀と言えばまさに聖徳太子が斑鳩へ進出し、その後約半世紀にわたり上宮王家による活躍があったことから、斑鳩宮との造営時期が近接する上、斑鳩宮を臨む立地であることなどの点から、仏塚古墳の被葬者と上宮王家との関連を指摘する意見もあります。
徒歩25分約1.7km
春日古墳 〈法隆寺周辺エリア〉
西里の集落の中に、ひときわ緑の目立つ小高い丘があるのが春日古墳です。墳丘の南裾に小さな祠があり、春日明神をまつっていることがこの古墳名の由来です。
現在古墳は、民家の間にあって墳丘の裾は削られていますが、現状では直径30m、高さ6m程度の円墳で、未発掘とみられています。墳丘南西側に、横穴式石室の羨道の一部とみられる1~1.5m程度の石材が2個露出しており、墳丘の高さなども考慮に入れると横穴式石室墳の可能性が考えられていますが、葺石・埴輪などもみられず、発掘調査を実施していないことから詳細は不明です。しかしながら、平成29年度から測定が開始されたミューオン調査(奈良県立橿原考古学研究所、名古屋大学、斑鳩町教育委員会との共同研究)の結果、墳丘内に大きな空間が存在することがわかりました。
春日古墳は、藤ノ木古墳の北東約150mのところに位置するため、今後の両古墳の関係解明が待たれます。
徒歩3分約250m
ふじのきこふん藤ノ木古墳 〈法隆寺周辺エリア〉
藤ノ木古墳は、法隆寺の西約350mに位置する6世紀後半の円墳です。完全未盗掘の状態で発掘され、両袖式の横穴式石室内に納められた朱塗りの家形石棺が確認されました。また、金銅製透彫鞍金具に代表される装飾性豊かな馬具の出土によって一躍有名になり、二人の人物が玉纏の太刀や金銅製の冠・履など豪華な副葬品とともに埋葬されていることが明らかになりました。古墳の築造時期から、被葬者は聖徳太子の身近な人であると考えられています。平成3(1991)年には国史跡に指定され、続いて平成4(1992)年には、多くの出土品が国宝に指定されました。また、斑鳩文化財センターでは、常設展にて、藤ノ木古墳出土品の精巧なレプリカを展示しておりますので、合わせてご覧いただくと理解を深めていただくことができます。さらに、春と秋には、石室特別公開が開催されています。大きな花崗岩を用いた石室内に入れるチャンスです。縄掛突起付きの蓋石のある家形石棺の実物を見ることもできます。
徒歩2分約150m
徒歩10分約800m
神代古墳 〈龍田周辺エリア〉
神代古墳は、北東からのびる丘陵の先端部の南向き斜面に立地しており、瀧谷(春日)神社境内にあります。古墳の状況は、「コ」の字形に配置された3枚の板石が地表面に露出し、石材は花崗岩で、上面が平らに加工されており、側面の内側も同様に加工されていると思われます。これらの石は石室の一部で、このうち西側の石は外側(西側)に傾いていますが、元は東側の石と同様に垂直に立っていたもので、北側の石が奥壁(約1.6m)、南側の東西の石が側壁(東:約2.5m、西:約2.1m)です。これらの石の上には本来、天井石があったものが取り去られ、その内部が土で埋まってしまったものと考えられます。なお、南側は崖面となっているため、南側に石が続いていたかどうかなど詳しいことはわかっていません。
出土遺物については知られていないため、いつ頃につくられたか明らかではありませんが、花崗岩を切石状に加工していることや、東方にあった「竜田御坊山古墳群」の存在などから、7世紀前半から中頃の古墳と考えられ、斑鳩地域における飛鳥時代を考えるうえで貴重な古墳です。
徒歩15分約1km