法隆寺
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斑鳩を巡る

三塔いにしえの道

三塔とは、法隆寺五重塔、法輪寺三重塔、法起寺三重塔のいわゆる斑鳩三塔の呼称です。 斑鳩ならではの塔のある風景、今に息づくいにしえを歩くコース。 聖徳太子ゆかりの古寺やその歴史と深く関わってきた里人の集落、これらが点在する道をたどれば、文化の香りと野のたたずまいが一体となった、斑鳩を代表する風景につぎつぎと出会います。斑鳩の里と呼ばれる所以です。

斑鳩の里 観光案内所 法隆寺iセンター

法隆寺iセンターは「歴史街道」の情報や県下の観光情報を提供するほか、法隆寺をはじめとする斑鳩の里を案内します。また、日本政府観光局(JNTO)認定外国人観光案内所カテゴリー1を取得しています。
建物は斑鳩の里の民家をイメージさせる瓦葺き二階建てで、屋根の勾配に「むくり」とよばれるふくらみをもたせています。二階部分の「むしこ窓」も印象的です。

徒歩4分約300m

ほうりゅうじ法隆寺 〈法隆寺周辺エリア〉

用明天皇のご遺志を継いで、607年に推古天皇と聖徳太子によって建立されたと伝わっています。世界最古の木造建築物と数多くの寺宝を持ち、わが国最初の世界文化遺産として1993年に登録されたことでも有名です。
所持する国宝は、建造物も合わせて39件と、世界に誇る素晴らしい空間を作り出しています。

徒歩8分約600m

いかるがじんじゃ斑鳩神社 〈松尾道沿い〉

社伝によると、朱雀天皇の天慶年間(938~947)に、興福寺僧で法隆寺別当を兼務していた湛照僧都が菅原道真を祀ったとされ、またこの湛照僧都は、菅原氏の後裔といわれています。
明治初めの神仏分離令により、法隆寺から離れ、法隆寺村の鎮守社となりました。
毎年10月の中頃には秋祭りが行われ、お祭りの日には、法隆寺境内の妻室前にお旅所が設けられ、そこに神輿のお渡りがあります。
なお、神社の前の天満池からは、法隆寺五重塔が見え、絶好の写真撮影ポイントとなっています。

徒歩9分約700m

ほうりんじ法輪寺 〈三井・岡本周辺エリア〉

622年に聖徳太子の病気平癒を祈願して、その子山背大兄王と孫の由義王が建立したと伝わっています。創建当初の三重塔は、1944年(昭和19年)落雷により焼失し、現在の塔は、作家・幸田 文氏らの尽力により、1975(昭和50年)に再建されたもので、再建工事に携わったのは「最後の宮大工」と名高い西岡常一棟梁です。三重塔は、法隆寺五重塔・法起寺三重塔と並び斑鳩三塔と称されています。また、収蔵庫では、間近に飛鳥仏に出会うことができます。

徒歩1分約80m

しせきみい史跡三井 〈三井・岡本周辺エリア〉 

三井は、法輪寺旧境内のエリアにある井戸で、聖徳太子が掘った三つの井戸の一つである「赤染井」と伝えられています。井戸は明治時代には埋まっていましたが、昭和7年の発掘調査で復活し、昭和30年代まで実際に使われていました。
井戸底に4個の石を方形に組み合わせて、その内外の隙間より水が湧き出るようになっており、側壁は中膨れの筒状、その上は乱石積みで構築し、そこからは扇形の「塼(せん)」を積んだ珍しい構造であることから、国の史跡に指定されています。

徒歩7分約550m

岡原古墳 〈三井・岡本周辺エリア〉 

法輪寺の南東200mほどのところにある岡原古墳は、地元では「岡ノ原」と呼ばれる小山で、聖徳太子の長子・山背大兄王の墓所との伝承があります。
一見、前方後円墳にも見えますが、実際には頂上部のみの径30m程度の円墳で「富郷陵墓(とみさとりょうぼ)参考地」として、宮内庁の管理地になっています。
周辺からは、5世紀の埴輪が出土することから、7世紀の古墳ではない可能性が考えられます。
法輪寺から法起寺に向かう道の中ほど、斑鳩の里を満喫できるロケーションにあります。
※古墳に立ち入ることはできません。

徒歩8分約600m

しせき みい がようせき史跡三井瓦窯跡 〈三井・岡本周辺エリア〉

史跡三井瓦窯跡は、法起寺西側の尾根丘陵(瓦塚2号墳の後円部)西側斜面に所在します。
昭和6年に果樹園を開墾中に偶然に発見され、奈良県による第1次調査から「地下式有階有段登窯(第1号窯)」であることが明らかとなり、天井部のアーチの残存状態のよい約40度の勾配を持つ「登窯」内からは、丸瓦と平瓦が出土しました。 
瓦窯の操業時期は、7世紀後半~8世紀初め頃と考えられており、窯跡の近くからは、法輪寺や法起寺で使われていたのと同じ八葉弁複弁蓮華文の軒丸瓦が採集されています。
なお、平成7年度には、災害復旧工事に伴い第2次調査が実施され、1号窯に先行する天井部の崩落した2号窯を検出しています。
 三井瓦窯跡は、斑鳩における聖徳太子ゆかりの古代寺院の成立に関連する生産遺跡として重要といえるでしょう。

徒歩6分約450m

ほうきじ法起寺 〈三井・岡本周辺エリア〉

法起寺は、聖徳太子が法華経を講説した岡本宮を、息子である山背大兄王が、太子の遺言で寺に改めたと伝わっています。創建当時の建造物である三重塔は、現存する世界最古のもので、法隆寺伽藍と共に世界文化遺産に登録されています。

徒歩9分約700m

しせき ちゅうぐうじあと史跡 中宮寺跡 〈三井・岡本周辺エリア〉

現在の中宮寺は法隆寺東院の東側にありますが、元は450m東方に所在していました。現在の中宮寺と区別するため創建中宮寺を中宮寺跡と呼んでいます。
現在でも塔、金堂の基壇が土壇状の高まりとなり残っています。
これまでの発掘調査の結果から、塔、金堂が南北に並ぶ四天王寺式伽藍配置をしていたことが明らかとなっています。これは聖徳太子が建立した斑鳩寺(若草伽藍)と同じ建物配置をしています。
ただし、講堂や回廊は見つかっていないことから未完の寺であったようです。
中宮寺跡全域は、平成2年と平成13年に国史跡の指定を受けました。
現在は、史跡公園として整備され、特に秋のコスモスの時期には、多くの人が訪れる憩いの場となっています。

徒歩7分約550m

ちゅうぐうじ中宮寺 〈法隆寺周辺エリア〉

中宮寺は、聖徳太子が母の穴穂部間人皇后のために建立されたと伝えられている、わが国最古の尼寺です。 本堂に安置されている国宝の木造菩薩半跏像は、神秘的なアルカイックスマイルをたたえ、世界三大微笑のうちの一つと名高い、優しい仏さまです。春には、山吹の花が境内に咲き誇ります。

徒歩1分約80m

ほうりゅうじ ゆめどの法隆寺 夢殿 〈法隆寺周辺エリア〉

この地は、聖徳太子が住まわれた斑鳩宮の跡地で、太子の死後、遺徳を偲んで建立されました。夢殿は、法隆寺東院伽藍の中心となる八角円堂の建物です。内部には、本尊の国宝救世観音像(聖徳太子等身の像と伝えられている)が、長い間秘仏として人々の目から閉ざされてきましたが、明治17年に開扉されました。堂内には、東院の復興に尽力した行信僧都と、平安時代初めに東院を修理した道詮律師の座像があり、いずれも国宝に指定されています。

徒歩9分約700m

斑鳩の里 観光案内所 法隆寺iセンター

法隆寺iセンターは「歴史街道」の情報や県下の観光情報を提供するほか、法隆寺をはじめとする斑鳩の里を案内します。また、日本政府観光局(JNTO)認定外国人観光案内所カテゴリー1を取得しています。
建物は斑鳩の里の民家をイメージさせる瓦葺き二階建てで、屋根の勾配に「むくり」とよばれるふくらみをもたせています。二階部分の「むしこ窓」も印象的です。

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