戦国時代に、法隆寺が戦国三傑との関わりを持ったことは、記録が残っています。
織田信長は、掟書や朱印状を残しており、これが、この付近で繰り広げられていた松永久秀と筒井順慶との戦いから、法隆寺を護ることに繋がりました。
また、豊臣秀頼が父・秀吉の菩提を弔うために行った慶長の大修理の際には、法隆寺もその恩恵にあずかり、ほとんど全伽藍の大規模な修理をしています。
さらに、大阪冬の陣の際には、徳川家康が法隆寺に立ち寄って戦勝祈願しています。
中世以来の戦勝の神としての聖徳太子への信仰がベースにあったのかもしれませんが、いずれにせよ、戦国三傑との関わりと、当時の僧侶たちの大変な努力に、法隆寺はこの大変な時代をくぐり抜けていったのです。